カテゴリー「コミュニティ」の4件の記事

2012年4月 2日 (月)

《 「地方自治」と「国民主権」の復興とは、  ・・・震災・原発問題福島シンポジウムに参加してきました。》

 東日本大震災が起こった3月11日から約1年経った3月24―25日の二日間に渡って開催された「震災・原発問題福島シンポジウム」に参加してきました。知人の研究者の方からお誘いがあり4人で誘い合って参加したものでした。主催は経済理論学会、経済地理学会、日本地域経済学会、基礎経済科学研究所、協賛に、政治経済学・経済史学会、後援に、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター、日本経済学会連合と多彩でした。多くの学術組織に参加している研究者が震災・原発問題の原因究明と復興のあり方の解明に貢献しようとする努力の一環をなすものでした。

 シンポジウムは、第一に、震災から1年たった今、研究者の問題意識が現場での要請から外れていないかどうかの点検でした。その為、初日のプログラムは現場で復興に携わってきた三人の方からお話を伺いました。南相馬市長は「原発周辺自治体における避難と放射能との戦い」、福島県農民連事務局長は、「被曝した大地と農産物、『全面賠償と除染を求め直接行動』」、音楽家の大友良英さんは、「8・15世界同時フェスティバルFUKUSHIMAに全国から1万三千人、ネット同時発信に全世界から25万人参加」と言うテーマでした。

 中でも、農民連の根本敬事務局長からは下記のような厳しい状況が述べられました。
・「あなた方被災者は、どんなことがあっても人間として扱われる権利があります」と言うメッセージを聞いたことがない。被災者に人権はない。
・被災しているかどうか分らない災害。なぜ、未だに詳細な「汚染マップ」が作られないのか。

続きを読む "《 「地方自治」と「国民主権」の復興とは、  ・・・震災・原発問題福島シンポジウムに参加してきました。》"

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月28日 (月)

「日本全体の再生問題としての東日本大震災復興プログラム」

 1年前に書いたものですが、今でも有効な内容になっていると思われましたので、トップに置きました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

3月11日の東日本大震災から2週間が経ちました。救援、復興プロセスとその時点での課題、および、阪神淡路大震災との比較をまとめ、今後取り組まれることになる復興計画について、考えてみました。
 親しくさせていただいている或る研究者の方は、「これからどう復興させていくのか、単に東北のローカルな問題としてではなく日本の再生としてどうデザインするかが政治に問われています」と話されていました。私も、その通りと思いました。格差社会が固定化してくる中で、「連帯」とか、「助け合い」、「思いやり」といった気持ちの持ち方や、行動の仕方が新しい日本の文化になっていく可能性があるように思います。過剰消費を自粛し、環境と共存できる生活スタイルを志向する動きも今回の被災を契機に強まってきています。これを我慢する文化にしてしまうのでなく、共に闘い、共に楽しんでいく文化にできるかどうかが問題です。
 原子力発電に依拠したエネルギー政策についても併せて考えてみたいと思います。リンクした武田邦彦教授のビデオ(ユーチューブ)は衝撃的な証言でした。「5.原発事故」の項だけでも読んでいただければと思います。
自公、民主党が、政治的方向感を失っている時、私たちは大災害と一斉地方選挙を迎えます。大震災対応に集中したいところですが、そうはなりませんでした。であれば、大震災の国民的経験から政治を変えていくしかありません。日本の再生を実現し、東日本大震災の復興を支えましょう。

1.戦後最大の災害と、初期対応の遅れ
2.ガソリン不足の原因
3.支援物資の早期到達の工夫を
4.被災者の方々に生活再建、地域再建への支援プログラムの早期提示
5.原発事故(福島第一原子力発電所)
6.復興経費の財源をどうするか
7.復興と貿易協定、生産性
8.わずかばかりの社会正義と連帯があれば
付表.阪神淡路大震災との比較

続きを読む "「日本全体の再生問題としての東日本大震災復興プログラム」"

| コメント (2) | トラックバック (0)

2009年9月18日 (金)

社会福祉から雇用をどのように創出するのか・・・(株)SMSの試み

 雇用の拡大は、今日の世界の、そして日本の第一の課題です。

 今回の総選挙でも、相変わらず自民党は、景気が回復することがすべての前提と考え、資本家にとっての景気回復が、ある時は労働者を解雇することであり、ある時には雇用を正規社員から非正規社員に切り替えることであることを、都合良く忘れていました。大企業に相応の負担を求める努力を怠るという大きな手抜きをしながら、「景気対策を持っているのは自民党だけ」と主張した自民党は大敗しました。

 民主党マニフェストのスローガンは、「国民の生活が第一」でした。生活の安定の基盤は雇用にありますから、自然に雇用の拡大、雇用条件の改善に主張が収斂してきます。現金給付は最低限の消費しか生み出しません。雇用を創出することが需要と消費を生み出します。社会福祉サービス、医療サービス教育、農林水産業、情報産業といった分野に人材を供給できれば雇用を生み出すことができます。民主党には、給付中心の政策が目立ち、あらゆるところに雇用の観点を貫いて行くことという点では弱点がありましたが、国民の気持ちを捉え大勝に繋がりました。

 2009年7月12日付けブログ「雇用の創出を通して、新しい経済社会をつくって行く・・・総選挙と地方選の争点」で書いたように、雇用の創出は、全ての失業者に元の職場に復帰することを意味するものではありません。また、一度勤めた会社で定年までの就業を保証するものでもありません。産業構造は発展、変化します。それに連れて、労働者の分布も変わらざるを得ません。問題はその変化への充分な社会的サポートを行うことです。

 そして、今日雇用拡大の見こまれる分野として、農業を中心とした「第一次産業での雇用拡大」と、社会福祉サービス、医療サ-ビス、介護サービス、育児・教育サービス等の「第三次産業での雇用拡大」を上げました。

 神野直彦氏が、「人間回復の経済学」で注意していることなのですが、気をつけなくてはいけないことは、これらのサービスは地方公共団体を中核にしたコミュニティーとして取り組んで行くべき分野だということです。企業の利益が第一の目標となる民営化によってなされることではありません。官僚による行政の私物化への批判が、「官」から「民」へという流れを正当化してきました。しかし本当は、「官」から「公」にという批判が建てられるべきだったというのです。

 ところが、最近私は、介護サービス、医療サービス、アクティブ・シニア支援ビジネスの分野に民間企業として積極的に取り組んでいる企業を知ることになりました。ビジネスモデルはこれから紹介致しますが、まず考えたことはなぜ公的な事業としてこうした事業が取り組まれないのだろうか、ということでした。国や自治体が既に取り組んでいる事業を民間企業に譲るべく、民間企業に事業を売却したり、未来のある事業から撤退させられることは批判されるべきことですが、公的部門が何もできていないうちに民間企業が事業を確立してしまっているとしたら、公的立場からできることは本来公的なことであるべき事業が要請する規制・監督体制の確立と、事業が必要な規模に発展し、社会が要請する役割を果たして行けるように必要な支援・協働を進めることです。公的な分野を利益本位に行動する民間企業が担うわけですから問題も出てくるでしょう。最終的には、民間事業として始まった事業の「公営化」もあり得るかも知れません。そうしたことが国民の理解の下で行えるようにするためには、それを担える事業者感覚と公的分野で働く者としての規範性を持った人材の創造的な活動が必要です。

 政治の世界で「追加経済対策」等といって騒いでいる頃には、民間企業が事業化を終わってしまっているのです。これも「官」の縄張り主義等の弊害があるのかも知れません。「地方分権」の中で強めなければいけない機能です。ただし、これは地方の枠に縛られていてはできない事業でもあるのです。全国規模のネットワークが必要なのです。このことは「分権化」自体が全国的ネットワークを必要としてくるであろうことを示唆しているのです。と同時にアジア地域でのネットワークへの発展の可能性も考えさせるものです。

 さて、この会社の名前は、株式会社エス・エム・エス、2003年4月に設立。設立後6年ですが、資本金は261百万円強、経常利益 1,238百万円(2009.3.31)、東証マザーズに上場しています(2008年)。

続きを読む "社会福祉から雇用をどのように創出するのか・・・(株)SMSの試み"

| コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 8日 (金)

「少子高齢化」と「子育て支援」・・・増山均著「子育て支援のフィロソフィア」を読んで

 「少子高齢化」と「子育て支援」は、今日の日本が直面する重要な課題です。

 まず「少子化」の指標である合計特殊出生率を見てみましょう。1975年に1.91人と2.0を割って以来ほぼ一貫して低下を続け、1995年以降1.5人を割り、2005年に1.26人と最低の数字を記録した後、団塊ジュニアの影響でやや戻したものの1.3台で低迷しています。不況の影響もあり、このまま無策で行くならば、再び1.3人を割るのは確実です。尚、欧米諸国との比較では、米国2.09、仏2.01、北欧諸国1.8台、英国1.84、加1.61、独・西・伊1.33-1.34、日本1.34と、日本は最も低い出生率になっています(各国の数字の出典は2003-2007年とバラツキがあります…ウィキペディア「少子化」)。

 では「高齢化」の指標はどうなっているでしょうか。内閣府の平成20年版高齢社会白書によると、日本の65歳以上の高齢者人口は、1970年に7%を超え(国連の報告書において「高齢化社会」と定義された水準)、さらに、1994年にはその倍化水準である14%を超え(「高齢社会」と称された)、そして、2007年、まさに21%を超え、5人に1人が高齢者、という「本格的な高齢社会」となっているとされています。欧米諸国と比較すると2005年の高齢者人口比率が高い順に、①日本20.1、②伊19.7、③独18.8、④スウェーデン17.2、以下、西・仏・英が16%台、米国が低く12.3となっています。日本は社会の高齢化速度も速く、2050年には他国に先んじて高齢者人口比率が40%に達すると予想されています。

 そして、「少子化」と「高齢化」の結果として、65歳以上の高齢人口と15~64歳の生産年齢人口の比率がどう変化したかをを見てみましょう。1970年には1人の高齢人口に対して9.8人の生産年齢人口がいたのに対して、2005年には高齢者1人に対して現役世代3.3人になっています。今後、高齢化率は上昇を続け、現役世代の割合は低下していくことが予想される中、2055年には、1人の高齢人口に対して1.3人の生産年齢人口という比率になると予測されています。仮に15~69歳を支え手とし、70歳以上を高齢人口として計算してみても、70歳以上の高齢人口1人に対して生産年齢人口1.7人という比率となるとのことです。この1.7という数字は従来の考え方の数字としては2035年のものになりますのでかなりの変化と言えますが、それでも生産年齢の人々の負担は大きいといえましょう。

 問題は高齢者を支える生産年齢の人々の割合が数字の上で小さくなるという問題に加えて、支え手の一人ひとりの力量が低下してきているのではないかということです。「学級崩壊」、「国際的学力比較での順位低下」、「少年犯罪の増加」、「モンスター・ペアレント」、「子どもへの虐待」、「若年層の不安定雇用と貧困化、技術移転の遅れ」等、多くの人に不安を与えるような事態が身近なところに起こってきています。

 こうして、「少子・高齢化」問題は、「結婚し子どもを持ちたいと思っている人々の希望を妨げているものを解消し、人間としての力強い生命力を持った世代を育てていくのにはどうしたらよいか」という「子育て支援」問題に転化します。「支援」という言葉が入るのは、既に親や子の「自己責任」ということで投げ出せる状況ではなくなっているということと、「子育て」というものは文化であって、その継承は世代間の共同作業であるという認識があります。

 今回の経済危機対策では何れの政党もこの問題への対策を絡めた形での経済対策を打ち出して来ています。しかし、「子育ての困難がどこにあって」、「どのような子育て支援が必要になっているのか」を正しく理解している政党は限られています。

 前置きが長くなってしまいましたが、子どもの日にちなみ、この連休は教育について考えてみました。考えるにあたって早稲田大学文学学術院教授の増山均著「子育て支援のフィロソフィア・・・家庭を地域にひらく子育て・親育て」(自治体研究所2009年2月、1,800円+税)を読んでみました。読んでみて、とかく「子育て」という幅の広い事業を「教育」や「徳育」といった狭い枠にはめてしまうことに気付かされました。これから、増山氏の主張のポイントとなる点についてご紹介していきたいと思います。

続きを読む "「少子高齢化」と「子育て支援」・・・増山均著「子育て支援のフィロソフィア」を読んで"

| コメント (0) | トラックバック (0)